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山原ユリアの日誌。

2007-06-30

はてなダイアリーへようこそ!

このページはあなた専用の日記(ブログ)です。*1

さっそく「日記を書く」をクリックして最初の記事を書いてみましょう。

はてなダイアリーの一番簡単な使い方を知りたい方は、以下の動画をご覧ください。

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それでは、日々の出来事やテレビ番組の感想、普段考えていることなど、あなたならではの日記を書いて楽しんでください!

*1:この文章はサンプルです。実際に自分の記事を書くときには削除しても大丈夫です。

2007-06-29

*1

*1:まあ、加減が良ければ舊臭い雰圍氣の文體で書くなど、多少のサーヴィスも可能ではあるのだけれどもね。やれやれ、よくわからない需要があつたものだ...

2007-06-25

 昭和17年にドイツ軍政下の巴里で發行され、同19年には日本語に譯出/整版までされてゐたものゝ出版には至ることが出來ず、翌年暮れの敗戰後になつてからやうやく出版が叶つたといふ書物が手許にある*1。黄變した頁面はザラザラで、いかにも粗末な用紙を使つてゐる。もとは空色だつたらう表紙も、いまや緑がかつた灰色に見える。「發行の遲延」「品物の粗雜さ」から、當時の物品生産力が非常に低下した状態だつたらうこと‐また社會秩序の混亂ぶり‐は手に取るやうに判る*2。戰爭犯罪の泥沼に飛び込んでまでして、一體何を護るつもりだつたのだらうか。勇ましき大義が齎した結果からは、消すことの出來ない負債の大きさしか傳はつて來ない*3

*1:一往説明しておくと「小さな王子」の作者として知られる「2-33部隊」の大尉が獨白調で著した、彼にとつて最後の著作のこと。めんだうは御免だから題名までは教へない。

*2:設備の破壞/物資の缺乏/勞働者の不在‐つまり社會機能が甚大な麻痺状態にあつたといふこと。

*3:戰爭を始めたこの犯罪國は體制をあまり變へることもなくそのまゝのすがたで殘つたのだから即ち我々は相變らずの敗戰國民なのだ。この咎は清算出來る種類のものではない。

2007-06-22

 "誤りなき"論理立てには反論などできやしない。…でも、それだけのことで‐逃走の線を一本斷ち切られただけでしかない。意識なんてのは他性からの‐斯くあるべし‐との規定を享けて自己の内部に定位されるものではないのだから、結局は何も變りはしないのだ。男性的な政治體制てヤツはいつでも箇条書きの律令を山ほど作りたがり、しかもその決定は總意だとかになつたりするのだけれども、ひとつを決めることは他の幾つかを決定不能に陷れたりするのだから、結局のところ新たな律を以てこれを救濟しなければならなくなるのはいつものことだ。そしてまたその繰り返し... 「この天地の間には男どもには想像も付かない現象が重層的に絡まりながら幾らも存在するんですよ、お判りですか? ホレイショ君」

2007-06-19

 インタネットスペースの説明などは書いたところでどうせ讀まれやしない。だから當グループのコンセプトが遵守されないことを氣に病んでも仕方ないと仰るのか? 共有空間に文件を置く以上それがどんなやりかたで利用されようと文句を付けることが出來ないことは理解するが、だからといつてそこから導かれる私の嫌惡感を無きものとすることは出來ない。

2007-06-18

 和蘭芥子の新しい分岐枝について。通常みられる先端の尖つた楕圓型の葉によつて構成された奇數羽状の複葉ではなく、卵型の單葉を莖から直截に伸ばしてゐる態はハコベに似てゐる(※但し對生ではない點で異なる)。これらの分岐枝では、すべての葉柄の付け根から短い根が生じてゐることから單性生殖に準ずる形での世代交替であると見故すことが出來るかもしれないと考へた。‐今囘の事例においては室内での栽培であり、受粉交配が出來なかつたために結實がなかつたことに加へて、長期間に亘ての水栽培による榮養不足で元株に弱りが出て來てゐることから、無爲に枯死することを拒むために元株を棄てゝ分裂し、伸びまたは千切れて着地した先で根付いて、新しい個體として種屬の保存を圖らうと*1してゐるのではないかと推測したからだ。

*1:「意志」であるかのやうな表現となつてしまつたが、さうではなくてこれは「ある条件に對する生育のプログラム」について非專門家の想像に基づくおはなし。通常は上向きに伸びて株頂に花塊を付けるこの植物において、形状の異なる分岐枝が長く伸びて水盆の縁から下へと垂れ下がる行動の觀察から。正しくはどうだ‐とかいふのは結局のところ知らない。

2007-06-17

eulear20070617

 二箇月ほど前に河原から切り離して來て瓶に差してあるクレソンは水道水の補給だけで今も生き延びてゐる。かつて「枝」だつたものは根が張つて「株」となつてしまつた。當初は食用にする預定だつたのだが機會を逃した恰好だ*1現在は採取した場所に戻すことを檢討中。*2

*1:この個體の以後に採取した枝はダイレクトに食卓に上つてゐたりするのだから正にその機をズラシてしまつたのだとしかいひやうがない。

*2:新しく分岐して伸ばした枝に付く葉は舊いものとは違つて圓いことを知つた。野性の株はすぐに花が咲いてしまふので、青果店で販賣されてゐる切り枝が見事に葉を繁らせた長い莖ばかりなのに感心する。窒素肥料の與へかたなどで巧く操作してゐるのかもしれないと想像する。

2007-06-15

 "beat"‐つまり「拍を取ること」‐から演奏行爲を捉へてしまふのは、本來のドラマー仕事とは稍々異なる發想だ。音樂として成立した現象を享受するときに、連續した一定の間隔で顯れる強弱の拍動を感じ取り、それに「乘る」といふことはあるだらう‐しかしそれは「演奏(音樂の生成)」に關はる心理行動ではなく、どちらかといへば「分析(高度な受容)」に當たるものだ。さうではなくて、"pulse"‐躍動感もしくは「どきどきすること」‐からすべては始まる。音樂を奏することよりも「ドラムぽく聞こえる技術」の"How-to"が一般化してしまつてゐるのはどうにも頂けない傾向だ*1

*1:そんなことだから「ドンカマ同期のサンプル鳴らし」が優位になつてしまふのだ。サンプルソースの生成された現場での事情は忘却されて。

2007-06-13

 手短かにいへば「引退しても注目度は変らず」では迷惑千萬だといふことなのであつて、「想ふこと」とは今や本來の祕匿された密やかな心の動きとして收める-つまり關系性の顯はになつてゐない處に存在する祕密へと囘歸したのだと承知する-べきなのだ。我々が共同の仕事を爲して"その"イメジを具現してゐた時期は去つたのだから、不變のイメジを生産する機械として現在の"ある個人"を働かせるといふのは筋が違ふ。過ぎた日々に足を停めて無限のシミュラクルに縋ることはたぶん恕されることであらうけれども、前途ある人間の日常のなかに存する多樣であるべき可能性を殺ぐ要求を持つてそのひとの前に立ちはだかるのは罪惡とならう。從て、流通目的としてゐない現今の些細な出來事を敢て搜し出すべきではないし、用途が異なる以上そこに出現する像は白日の下に曝されるべき強度を備へてはゐないはずだ*1

*1:はたして變化はあつた。關系するローカルネットワークは"外部"を意識した動きを示してゐると聞く。闖入者はいつでも自分の聲のデカさに氣が付かないものゝやうだ。

2007-06-12

 「"MM"の...」といふ場合にはおほいに稱揚するのが筋なわけだが*1現在に至つて殊に「"SFC"の...」として採り上げたりするのは單に個人の私生活を"曝きたてる"といふ負の意味しか擔はない點に注意すべきだ(→。例の「一般人だから」といふ理由を以て姓に敬稱を添へた稱でその人物を呼ばゝるといふのも、ウヱブ上で取沙汰される噂話に附随する論理としては稍々危いものなのであつて、彼女が"イリュージョンの共同"を生業としてゐた頃を象徴的に示す"KONCOM"といふ稱で區切つてしまつたはうが現在では寧ろ互の關系としては逆に好ましいのかもしれないな-と感じてゐる。

*1:即ち「推す」といふこと-互の利害關系といふ功利的な側面だけに注目してみてもさうするのが當時としては最善だつたといふこと。

2007-06-11

 番神濱(※柏崎市)の港寄りの岩場に、遠い昔には生け簀だつたのだと傳へ聞くコンクリート製の間仕切りが迷路のやうに岩々を繋いで海に迫り出してゐる箇所がある。灣口の角に當る處なので海流が速くて堤の破れ目から常に汐が流れ込んで來るため、外海の碎け波から圍はれた水面は穩かなわりに水はきれいで濁りはなく、水中眼鏡ひとつ着ければ多樣な生物と出會ふことが出來る。上手に採取すれば晩飯のおかずにも不自由はしない。タコを蹈んづけたのはやはりこの場所でだつた。最初は海底に沈んだ忌々しいビニル袋かなにかのゴミなのかとおもつた。舌打ちしながら拾ひ上げてみると灰色のグニャリとした物體だつた。氣持ちの惡い‐とばかりに取り落しさうになつた瞬間、廣げて藻攫いた觸腕の腹に無數の吸盤を認めて氣付いた‐コイツはタコだ! …もちろん逃がさなかつた。それから砂濱に置いたバケツから這ひ出して「走る」タコがまるでカニのやうに速いことを知つた。青いバケツに連れ戻されたタコは體を青く發色して文字通り蒼醒めてしまつた。*1

*1「軟體動物門頭足綱章魚目... 」「紺…いや、コンセーユ君。それでは、我々が乘つてゐたあの潛水艇を襲つて來た怪物共はやはり巨大なタコだつたといふのかね?」「いゝえ、先生。現實的に考へれば、やはりヤリイカの一種だつたとするべきなんでせうね。北極海の邊りではときどきさうしたバケモノがトロールの網に引掛かつたりするのだと聞いたことがありますよ」

2007-06-08

 巨大なタコの怪物‐章魚のキングコング、即ちタッコングにはもはや頭足類らしい柔軟さはない。ミサイル攻撃を難無く受け止める體表面は硬いゴムのやうで、東京灣底に堆積したヘドロから出る硫化水素によつて體細胞が硬化してしまつたのか‐といふイメジがなんとなくある*1ゼンマイ状に卷かれた圓い姿はマイマイにも似てゐるが、それよりも魚屋店頭でよく見かける茹でたタコの一本の觸腕によく似てをり*2彈力のある硬さのイメジを更に強化する。例へばトレッドパターンの付いたバキー車のタイヤ軟式野球ボール

*1:さういへば同時に登場したもう一匹の怪獸は慥かヘドロ系ぽい色々と垂れ下がつてゐる奴だつたとおもふ。漣波君みたいな名前の...

*2最近の鮨種ではグニャリとした感觸の生または半生で握つたりすることも多いやうだけれど、食用のタコといへばやはりこの吸盤を竝べてクルリと圓まつた茹でダコを想像する。

2007-06-02

 善と惡の對峙する構圖ならコントラストがはつきりしてゐるので説明が付けやすいといふことにはなる。では「普通」とは何だらうか。ありきたりなことほど説明には窮するものだ。特殊性の低いことこそ存在そのものとの深い關はりがある。しかしそれは全體性を意味しない。コントラストが弱くなるにつれ階調は逆に豐かになるからだ。「ふつう」である個の者は「みんな」などゝいふ特殊な括りに入れられることを拒む。*1

*1「そりや普通の子のフツオ君のことだらうがね。ほら、カラオケ屋でバイトしてゐる"なつみ"ちゃん家トコの父ちゃん。北口の團子屋さんの…
    紺? なんだ、寢惚てるのか…」(※結局省略)

2007-06-01

 ワルナスビ。「惡い茄子」といふことで、やはりちよつとヘンな名前だとおもふ。「善い茄子」「惡い茄子」「フツウの茄子*1。それから「正しい茄子」とかね。

*1「さういや、トオルちゃん銀行マンだけれど、あれつて良い子のヨシオ君ぢやなかつたつけ?
    …おや人違ひか。え、父ちゃんの方? 紺…いや、混亂しちやつて…」(※以下略)→